情熱を体感する
大人の工場見学
「未来が輝く非日常」
クルマと箔押しの歴史に触れる女子旅。
「未来が輝く非日常」
クルマと箔押しの歴史に触れる女子旅。
「100万円のジーンズ。高いと思う?僕は思わなかったんだ。だって、一生の思い出に残る体験も込みだからね」。貿易関係の事業を営み、世界中の上質なものに触れている若い経営者が、ジーンズの膝を撫でながら話している。ものづくりが好きな彼とは金継ぎ教室で出会って、会社の仕事とは別でデザイン制作を請けている。打ち合わせ後の世間話で、福山の職人さんたちを訪ね歩き、100万円するジーンズを作ったという旅の話を聞いた。
職人ならではの手を使ったものづくり。パソコンを駆使して広告のデザインを作る私はその世界にとても魅力を感じていて、次に旅行に行くなら「ものづくり」をテーマにしようと決めていた。
ちょうど、大きな案件が一つ終わった良いタイミングだった。調べてみると、以前旅先のホテルで見た素晴らしい壁面。あの箔壁紙を作っている会社が、広島にあった。しかも箔押しワークショップまであるらしい!決定だ。でも、ワークショップにはあと2人必要とのこと。瞬時に浮かんだのは同僚の2人の顔だった。
一人は、マーケティング部署のアイリ。二言目には「その企画、ファンを大切にできていますか?」と言う彼女がファン施策のお手本として、いつも例に出すのが広島の「マツダ」だったからだ。
もう一人は営業のケイ。彼女の「いいね、やってみよう」という言葉には、仕事でもプライベートでも何度も助けられてきた。伝統工芸と重工業。二つのものづくりを肌で感じることができるなんて、我ながらなんて素敵なプランだろう。
早速私は仕事もそっちのけで旅のしおりをデザインし、二人に送りつけプレゼンをした。即採用!実際の仕事もこうだったらいいのにな、なんて思いながら。
「会いに行けるアイドルじゃなくて、会いに行けるエンジニア、って言われてファンミーティングが行われてるのよ?すごくない?新車の発表も、メディアより先にまずファン。ファン目線の取り組みが素晴らしいから、私もファンになっちゃったのよね」。今欲しいものは彼よりマツダのSUVというアイリが、行きの新幹線で熱弁を振るってくれた。おかげで免許がない私たちも、すっかりマツダファンになっていた。
キャリーケースをコインロッカーに預け広島駅の南口へ出る。マツダ本社までは広島駅からバスで15分。バスを待つ間も「みて!またマツダ車!」とマツダの車ばかりが目に入る。私たちの聖地巡礼はこうして幕を開けた。
マツダ本社に到着。エントランスではマツダ車の最新モデルがお出迎えしてくれた。車を美しく見せるためのライティングや配色。車に詳しくなくたって、素敵なデザインというものは見ているだけで胸が高鳴る。
「こんにちは!」今日のガイドの山下さんの登場だ。シャンとした立ち姿とハキハキとした口調は、きっと車の魅力を最大限に引き立ててくれるだろうという期待感を高めてくれた。お父様がマツダの社員だったというご縁もあって今はガイドをしているそうだ。
「本社から、ミュージアムへはバスで移動していただきます」。エントランス前から大きなマツダのロゴ入りバスに乗り込む。敷地内は撮影ができないので、目を凝らし、山下さんの話に耳を傾ける。
排水処理場や船積み専用の港!極め付けはマツダ専用の橋!長さ560m、高さ23m、幅10mと、完成当時は一つの会社が持つ橋としては世界最大級といわれていたらしい。加えて発電所、消防署、学校まであって、まるで一つの街のようだった。
あっという間にミュージアムに到着すると、エントランスの特徴的なライティングのもと輝く、創立100周年記念モデル車に息を呑んだ。この時感じた「心が動く」感覚の理由を知るのは、もう少し後のことだ。
「こんにちは。ようこそいらっしゃいました」。館長の助光(すけみつ)さんが温かい笑顔で私たちを出迎えてくれた。ハッと我に返り、私たちもご挨拶をする。すると「初めに皆さんへお伝えしたいことがあります」と館長。なんだろう、一瞬緊迫した空気が私たちを包む。
「見学後、皆さんのお顔は笑顔で溢れていると思います。私たちはクルマを通して、人生に輝きをお届けするのが仕事ですから」。
館長の輝く笑顔とその一言で、私たちもすでに笑顔になってしまった。
展示は1から10のゾーンに分かれている。2階へ上がると、早速演出が始まっていた。「今から100年以上前にタイムスリップしていただきます」。山下さんが案内するその先には、ライトでデザインされた一本の道があった。一歩一歩、歩みを進めるたびに、生まれる前の時代に戻っていくような感覚を確かに私たちは味わった。
タイムトンネルを抜けた先にあったのは、1935年発売の三輪トラック「TCS型」だった。タンクに三菱のマークがついている理由を、山下さんが丁寧に説明してくださる。映画や資料映像でしかみたことがないような世界の出現に、本当にタイムスリップした感覚を味わった。
「何かこう、香りが違いませんか?」勘のいいケイが館長に訊ねるとなんと正解、当時をイメージした「レトロな香り」をディフューザー(アロマオイル)で演出しているというのだ。自社の大切なものをプレゼンテーションするためここまでするのか!聞けばマツダのデザイン本部の監修だという。同じデザイナーという肩書きの私は、特に身が引き締まる思いだった。
ZONE.1で実質的なマツダの創業者である松田重次郎の生い立ち、コルク製造から始まったマツダの歩みを聞くとともに、ZONE.2からは歴代の名車が一堂に会した展示となる。それぞれの名車を前に山下さんと館長が絶妙の掛け合いで、時代背景や開発のポイントを丁寧に解説してくださった。今から60年以上前のコンパクトな造形、デザインのディテールは現代においてとても新鮮に映る。レトロカルチャー好きのケイも、うっとりとした目で展示を眺めていた。
真っ白なボディ、これぞスポーツカー!といったフォルム。1967年から5年間で生産されたのは1200台(しかも一台一台が職人による手作り!)というコスモスポーツを前に、山下さんから質問があった。「今も元気に走っているのは、何台くらいあると思いますか?」。想像していなかった答えを聞いて、3人揃って驚いた(答えはぜひミュージアムで!)。
それだけファンに愛されているということなのだろう。当時の象徴として、今もさまざまな映画やアニメに登場しているらしい。
続いて、世界で最も多く生産されている2人乗りの小型のオープンスポーツカー、ロードスターに込められた思いを聞く。「スポーツカーは速ければいいというものじゃない。運転する歓びを、肌で感じながら楽しく移動できなくてはいけない。という想いで開発されました」。長く大切に乗るファンが多いというのも納得だ。
24時間耐久レースで優勝した車やラリーカーの展示の横ではエンジン音。それぞれの車種に、挑戦の歴史があり、ファンはその思い出を胸に刻み続けているだろう。車の歴史はいつだって、時代を前に進める使命と共にあったんじゃないかな?なんてことを思った。
その横で、ファン目線についてアイリが館長と話をしていた。遠方から、何度も足を運んでくださるファンがいること。そういったこともあって月に1回の休日開館を始めたり、開館時間を延長したりしたこと。自由見学の中で、技術者が帯同することもあること…。「伝えたいことを伝えるために来館者を連れ回すんじゃなくて、双方向のコミュニケーションを大切に、物語を伝えて価値観を共有することを大切にしているんだって!」館長のリアルな声を聞くことができたアイリの興奮が私にも伝わってきた。
「マツダブランドの世界観を表現したメッセージ“Zoom-Zoom”。実は、子供が車を動かしたりするときに言うブーブー、を意味する英語なんです。子供のときに感じた、動くことへの感動を大切にしたいという思いがこのZoom-Zoomには込められております」
Zoom-Zoom!つい3人で口に出してしまった。だって私たちの興奮に、それ以外の言葉が見つからなかったから。
続いては、2010年から今に至る、ZONE.7へ移っていく。あれ?イベントブースのデザインなども手がける私は、ライトが変わったことに気が付き、館長に聞いてみた。「そうなんです。過去の展示はレトロ感が出る黄色いライト。そこから先、今〜未来は最新のブランドイメージを表現するため白いライトなんです」。加えて、展示を際立たせるため消火栓のフォントや色まで変えていることや、進行方向からは見えない置き方になっていることなど、細部まで行き届くデザイン本部のこだわりも教えていただき舌を巻いた。
その先、ロードスターの前で館長がおもむろに足を止めた。
ロードスターの主査で、現在はアンバサダーの山本修弘さんの言葉を、館長が話してくれた。
「助光さん、平和都市・広島で文化を作ってオープンカーに乗ることがいいんだ。ここ広島でロードスターを作って、乗ることがいいんだ。例えばロケットが飛び交うような国ではオープンカーには乗れないよね。例えば、腕を出していて時計を盗られるような治安の悪い国では、オープンカーに乗れないよね。平和だからこそ乗れるもの。それがオープンカー、ロードスターなんだよと、彼は話してくれたんですね。心に残っている言葉なので紹介しました」。
そして、現在ご自身でもロードスターに乗る館長は続けた。
2階に上がり黒い鉄扉を開けると、デザイナーズアンティークの椅子が点在する空間が広がっていた。
「マツダが大切にしている『走る歓び』ってお話し、さっきしましたね。確かに、高速道路を法定速度内で走り抜けるのも走る歓びですけれど、実は大切な人と、大切な時間を過ごすというのも走る歓びなんです」。
広島の企業だからこその誇り。
しんみりしている私たちに「一台どうぞ、というセールストークではないですよ!」と笑顔にさせることも忘れない館長だった。
その後、ZONE.8では、「地球」「社会」「人」それぞれの課題に対し「走る歓び」で解決を目指すチャレンジについての展示が続いた。小学生もたくさん見学に来るそうで、分かりやすい図と言葉による説明が、一緒に並んでいた。シートベルトの重要性を訴える展示は衝撃的だったけれど、この説明を聞くと、後部座席に座る小学生たちも行動を変えてくれるそうだ。
次に目を引いたのは、ひときわ眩い一角だった。
生命感を形にするマツダの新しいデザインテーマ「魂動(こどう)」。それは、生物が見せる一瞬の動きの強さや美しさを表現し、見る人の魂を揺さぶる、心をときめかせる動きに命名されたもの。芸術的な量産車がどのように作られているかの展示だった。
目の前には無塗装のボディに投光器。デザイナーの造形を量産化するために、光の流れをクレイモデルで形作り、データ上でシマウマの模様のような線(=ゼブラライン)に変換、それを忠実に再現する金型を作る、という工程の説明だ。削り、磨き、カラー。乗る人だけでなく見る人の魂を動かすために、魂を込めている取り組みそのものが輝いているように思えた。
続いては、組立工場の中へと移動していく。「混流生産」といって、 1本の生産ラインで複数車種を次々と組み立てていく様子は圧巻だった。一定のリズムが心地よい工場内は、スキー場のリフトやジェットコースター、UFOキャッチャーのようなものがあって、その非日常感に目と心を奪われていた。すると横で館長が一言「デザイナーが魂を作って、彼らが命を吹き込んでいるんです」と言っていた。聞いた途端、ライン内の機械音が、生命の音に聞こえてくるようだった。
そして最後のZONE.10には伝統工芸における名匠との異色のコラボレーション作品や、マツダデザインだからこそできる曲線美を活かしたソファや自転車が展示されていた。 静物なのに生命感や速さのような動きを感じさせる。私もこんなものづくりがしてみたい…!!
長く、あっという間だった展示もついにフィナーレを迎える。カラーも造形の一部、という言葉の意味を展示全体で教えてくれる、コンセプトカーの登場だ。
床に反射する光までデザインされたその芸術品を見て、私は魂を熱くした。魂の色が見えるならまさに、マツダの塗装技術が実現した、瑞々しく艶やかな透明感を持ったソウルレッドクリスタルだろう。免許はなくとも、人生のハンドルをしっかり握ろう。人生を走る歓びを味わおう!!そう、心に決めた瞬間だった。
名残惜しくも見学を終え、エントランスに戻ってきた。歴史を辿り説明を聞いた後では、展示される車も全く印象が違ってみえた。最後はショップでオリジナルグッズや限定商品を購入。館長と山下さんのおかげで、すっかりマツダファンになったことにお礼を告げ、マツダミュージアムを後にした。
マツダ最寄りの向洋駅から横川駅まではJR山陽本線で15分だ。駅前に降り立つと高い屋根のアーケードの下に広島電鉄の路面電車の停留場がある。見学にはまだ時間があるので駅前を散策してみることにした。
1929年に広島市に編入される以前の安佐郡三篠町(現横川町、三篠町、楠木町、中広町ほか)には「来るもの拒まず」「なんでもやれる」気風が形成され、先駆的なコト起こしやモノづくりが始まった、とのこと。自由闊達な気風、起業の地に今日の目的地、歴清社(れきせいしゃ)はある。
駅から数分歩くと、住宅街の中に目印となる煙突が立っている。ここだ!
ガラスの入口ドアではカープ坊やがお出迎えしてくれている。壁に展示された箔押し紙が煌びやかな空間を演出している。そうだ、以前自分へのご褒美として行ったホテルでこの壁紙に出会って、今日私はここに来たのだ。
ガラスドアの裏からカープ坊やをマジマジ眺めていると「本金箔は透過するとブルーに見えるんですよ」という明るい声が聞こえた。見学の担当をしてくださる藤井さんだ。
束ねた髪に、真鍮の髪飾りが輝いている。素敵ですね、とお伝えすると「営業なので、必ず金色を入れることをマイルールにしているんです」と。爪もシンプルに、キレイにされているとのこと。自社製品に対する徹底的な姿勢!ここでもプレゼンテーションの基本を教わった。
ファッション好きなケイは、藤井さんのユニフォームについても質問した。聞けば、2016年、今の社長になった時にブランドを刷新し、その際、有名なホテルグループを担当されている方にデザインを依頼したそうだ。一つのことを極める職人、ではなく色々できるクリエイター、と呼ばれる皆さんの作業着も揃いで。動きやすいようにそれぞれ違うと聞いて、作業場に入る前から見どころ満載だ。
いよいよ、見学が始まる。その前に、藤井さんが口を開いた。
「では、工場に入る前にクイズです」。そう言って、入口へ続く扇型の階段を差した。「この角度、何度だと思いますか?」マツダで外しているから当てたい。が、分からない。「答えは108度です。108。何かピンと来ませんか?」聞いてなるほど煩悩の数で、それを払い落として神聖な工場に入る、という意味づけらしい。なんでも約30年前、4代目の社長がショールームを作った際に入れたこだわりだそうだ。
自分達の職場、そんなこと思ったことなかったよね…と雑然とした各々のデスクを思い出してしまった私たちだった。
日本だけでなく世界のホテルなどで使われている施工事例を見てから、工場内の音をバックに、歴史の説明を受ける。
現社長は6代目だが、創業家は紀州和歌山で刀剣商として刀を売る商売をしていて、その後広島城の城主に任命された浅野長晟のお抱えの刀剣商として、広島に移り住んだが1876年に発令された廃刀令などで商いを余儀なく転換。出入りをしていた武家や長者屋敷の調度品に着目し、屏風商に転換したのが始まりだと言う。
今でも京都の金紙が本場とは言われてるが、当時は物流も発達してないし、高価だったため京都製の金紙を仕入れることが難しかったらしい。そこで試行錯誤の末、創業者は見た目も金色で似ていて、安価な真鍮製の箔に目をつけ、試行錯誤の末に真鍮箔でありながら限りなく変色しづらい金紙の製品化に成功し、今では神社仏閣はもちろん、高級ホテルや美術館などでも活用されているそうだ。
発想の転換は大事だよね〜と納得していると、藤井さんから次のクイズが出題された。「1945年8月6日、ここ広島で何が起こったか、みなさんご存知ですよね」答える代わりに、3人で頷いた。
ここは爆心地から2.2km。周りの建物はほぼ全て全焼、全壊したそうだが、残ったものが二つあると言う。その一つが外から見た煙突で、もう一つが目の前にある第2危険物倉庫だ。空間全体にどこか懐かしさを感じると思ったら、再建の際には近くの小学校からかき集めた廃材を利用したそうだ。「歴史あるものを大事にしながら、先人たちの思いを大事に受け継ぎながら、これからももの作りをしていきたいなと思っているんです」。金紙を貼った壁を眺める藤井さんの眼差しは温かかった。
作業場の中に進んでいくと、統一感がありながらそれぞれの持ち場と役割で違うであろうエプロンやパーカーを着たクリエイターの方達が手を動かしていた。ベースの和紙に真鍮箔を1枚1枚貼っていく作業。箔押しは女性の作業だ。若い方が多いですね、と聞くと、平均年齢は30代半ばだと言う。新鮮な発想によりデザイン開発されたものだろう、紙のベースに絹や色々な素材を張り合わせ、箔押しした壁紙の表情の豊かさに息を呑む。貼られた箔を払う作業をする男性の服が金色の粉で輝いていた。「空気と水以外は箔押しできますよ」。こんな力強い「できますよ」、私は聞いたことがなく、羨ましいと思ってしまった。
そして、心臓部である乾燥場に到着した。あの、煙突がある場所だ。
箔を保護するためのトップコートを馬のたてがみの刷毛で丁寧に塗って、乾燥炉に入れていく。その素材の大きさに合わせた作業はダイナミックなのに優雅で箔の輝きも相まって、伝統芸能を眺めているようだった。
見学後は、現代のインテリアにも生きる特許技術を用いた扇子の箔押しワークショップだ。アトリエで、アドバイザーの金築(かねつき)さんにご挨拶をする。「お知恵箱と言われているんですよ。なんでもできちゃうんです」と藤井さんが控えめだけど自慢げに紹介してくれた。「金を築く、なんてこのお仕事に愛されているお名前ですね!」とアイリも興奮を隠せない。
扇子、と言われたが見たこともないようなデザインだった。聞けば、同じく広島の廿日市市のデザイナーさんが「1000年以上同じ形だった扇子に新しい風を吹き込みたい」と新たに開発したデザインとのこと。軽く、美しく、とても素敵だ。まっさらな和紙にのりで絵をかき、箔を貼る。
銅箔、アルミ箔、真鍮箔、錫箔、真鍮を硫黄で燻した七彩箔(ななさいばく)、そして本銀箔を選ぶことができる。私の大好きな手を動かす作業。無心になってものと向き合えるから、やめられない。
作業の合間に金築さんと藤井さんが話をしてくれる。「この作業は、上手いも下手もないんです。すべてに味があって素晴らしいんです」。「お客さまが作るものに、私たちが魅せられるから楽しいんです。絵も書も、新しい世界を知ることができるんです」。国内外、老若男女問わず、箔押しの作業は、人の持つ創造力を輝かせてくれるのだろう。
そういえば、と早めに作業を終えたアイリが藤井さんに訪ねた。歴清社の名前の由来って何ですか?と。確かに。すると、藤井さんがゆっくりと、丁寧に答えてくださった。被爆した当時、雨が降っても屋根がないので、紙を配ったんです。それを防水シートにするために、コールタールを塗ったんです。その、コールタールの和名が「瀝青」なんです、と。そこには「地域の皆さんの屋根になりたい」という想いがあるのだそうだ。
出来上がったそれぞれの扇子を受け取る。お二人がおっしゃっていた通りそれぞれの個性が反映された、いずれも素敵な出来で大満足だった。また入口に戻ってきて箔雑貨を前に、お土産をどれにするか盛り上がった。私は、手作り金銀紙の端切れを最後まで活かす考えでうまれた「手仕事のおすそわけ」を手に取った。「SDGsと言う言葉が生まれるずっと前から、古くからあるものを大切にする、もったいない精神を持って私たちはやってきたんです」と藤井さん。人と素材がお互いを輝かせあっている職場だ…と心から感心してしまった。「大切なことにたくさん気づかせていただきました。ありがとうございました!」。藤井さんにお礼を告げ、歴清社を後にして横川駅へ向かった。
伝統工芸と重工業。広島を代表する二つの工場見学を終えて思うことは、みなさん、輝いていた。ということだ。自社製品が好きで、仕事が好きで、自分自身がまずファンなんだな、って。その熱量が人から人へ伝わって、世界中にファンを作っているのだ。
私たちは、どうだろうね?自分の手から生み出されるものに、気持ちは動いているかな。心から好きと言えるかな。
企業の歴史や業績と比べるものではないけれど、先人のおかげで受け継がれてきた「今」に対して、未来が輝くような時を重ねたい。そのためにも、まずは自分自身のファンでいなくっちゃねえ、って3人で笑った。
箔押し体験で洋服についた箔が、キラキラと輝いていた。
昭和初期の豪邸だった建物を、1946年に料亭旅館「三瀧荘」として開業。現在は結婚式場としても利用されており、 広大な日本庭園を眺めながら優雅な食事時間を過ごすことができます。JR横川駅より徒歩10分。
〒733-0005 広島市西区三滝町1-3
https://restaurant.novarese.jp/mts/
※本記事では、出演者の健康確認を行った上で、撮影のため一時的にマスクを外しています。